目次
はじめに―「中国嫌い」でも「中国知らず」ではすまされない―6
第1章 遅れてきた「富国強兵」国家
1.権威なき五代目の試練―14
「太子党」リーダー習近平/習近平政権の政治的背景/第五世代体制の勢力図/「派閥」の位置づけと政治改革/大国化の分水嶺となる習時代
2.中国の膨張と軋む東アジア―45
対日政策の複雑な内部事情/海洋強国への戦略的展開/尖閣は「海の長城」を越える突破口/「力の誇示」による現状打破の試み/「棚上げ」と「揺さぶり」の両面作戦/尖閣と沖ノ鳥島を結ぶ線/尖閣とつながる南シナ海の高波/前庭を荒らされたフィリピンの怒り
3.迷走する中華ナショナリズム―87
「われらの時代」の驕り/「中華民族の偉大なる復興」とは何か/「中華民族」の虚像と実像/チベットに見る民族摩擦の宿痾/漢族主導「民族自治」の限界
第2章 中国共産党というヤヌス
1.巨大政治集団のしたたかな延命力―120
「中国崩壊論」のまぼろし/擬似「国民政党」への変身/ハイブリッド型の権力集団/「現代の科挙」が支える長期政権/中国式マキアヴェリズムの効力
2.出口の見えない独裁体制の震え―150
「鳥かご」政治改革の無力/大地を徘徊する毛沢東の亡霊/体制矛盾をあぶりだした薄熙来事件/「党の天下」の根源的病巣
3.権力者たちの矜持と孤独―171
「清官」改革いまだ成らず/人治とケジメの境界線/消えゆく共産主義戦士と功利主義
第3章 歪んだ歴史観の呪縛
1.ノーベル文学賞と歴史健忘症―190
体制側から祝福された莫言の受賞/忘れられた老舎の死/歴史を鑑とすべきなのは誰か
2.共産党が隠し続ける「不都合な真実」―200
羊頭狗肉の憲法三五条/死屍累々の暴政史/文化大革命とチベットの悲惨
3.「愛国」歴史観という魔物―213
外国公館襲撃事件の深層/今も引きずる義和団事件の影/「愛国無罪」の根深い病理
4.愛国主義で息づく共産党―228
集客力を失ったイデオロギー/「愛国」と「愛党反日」の相関関係/日中和解を阻む負のベクトル
第4章 日中関係の見えざる陥穽
1.無知と誤解のスパイラル―248
イメージで語られる日本と中国/相互理解は深まったのか/理性を封ずるレッテル貼り
2.日中メディア報道の罪と罰―268
メディアが作り出すイメージ/バランスを欠いた日中報道/求められる脱ステレオタイプ
3.重要で厄介な大国に対する思想―283
歴史に学び、歴史を障害としない/中国式論理への対処法/日本は何に拠って立つのか/知力の貧困、戦略の欠如/対中仕切り直し―七つの心構え
おわりに―「複眼」で「複雑系の中国」をとらえる―321
主要参考文献―326
前書きなど
はじめに―「中国嫌い」でも「中国知らず」ではすまされない
はや四半世紀以上も昔のことです。中国山東省済南市の山東大学に留学していた私は、大学近くの古ぼけた映画館で見た一本の中国映画に、「ああ、中国人とはこういう人たちなのか」と、脳天に電流が走るような衝撃を受けました。
その映画とは、中国映画界を代表する存在だった謝晋監督(二〇〇八年死去)が撮った『芙蓉鎮』です。舞台は文化大革命の嵐が吹き荒れる湖南省の片田舎。ヒロイン、胡玉音(劉暁慶)の夫、秦書田(姜文)は「反革命分子」の濡れ衣を着せられ、懲役一〇年の刑を宣告されます。この常軌を逸した政治運動の恐怖に覆われた公開裁判の会場で、秦書田は打ちひしがれる身重の妻に向かって腹の底から絶叫します。「生き抜け! 牛馬のように生き抜け!」―。
中国語のセリフを意訳すれば、「豚になっても生きろ!」といったところでしょうか。このシーンを見たとき、「そうなのだ、中国人はこうして数千年の乱世をしぶとく生き抜いてきたのだ」という深い感慨にとらわれました。それと同時に、「パッと咲いてパッと散る桜が大好きで、潔さを一種の美徳としてきた日本人にはとうてい言えないセリフだな」と、日中の民族性の隔たりを痛感しました。
文化大革命が終わってから一〇年余、すでに改革開放政策に転換していたとは言っても、庶民の生活はまだ貧しく、人民服姿の人々が行き交う街はすすけた感じで、今からは想像もできないくらい色彩に乏しかった時代です。済南は省都というのにインスタントコーヒーさえ手に入らず、ビニール袋一枚が貴重品というような地方都市でした。そんな刺激の少ない田舎町で『芙蓉鎮』公開は世間を沸かせる、ちょっとした事件でした。当時、文化大革命は誰にとってもあまり思い出したくない古傷だったに違いないのですが、『芙蓉鎮』は全国的に大ヒットしました。血塗られた時代をどうにか生き延びて、つましい暮らしではあってもささやかな平安が今あることを人々に実感させ、新たな希望をかきたてたからだろうと思います。想像するに、「牛馬のように生き抜け!」という言葉の重みが人々の心の琴線に触れたのでしょう。
かつて、謝晋はフランスで書店めぐりをしたとき、中国小説の翻訳本がほとんど見当たらないのに、作家、古華の小説『芙蓉鎮』(映画の原作)だけが平積みになっているのを目にしたことがあったそうです。国外で中国理解のカギとして文化大革命がいかに関心を持たれているかを知り、映画化の構想を練ったと言われます。文化大革命初期、知識人への迫害が激しさを増すなか、謝晋の母親は睡眠薬を飲んで自殺し、父親は身投げしました。彼自身も「牛小屋(知識人らの収容施設)」に押し込められ、労働を強いられるという体験をしています。「文化大革命のような出来事が中国で再び起きることは絶対に許さない。それが私の主要なテーマだ」。生前、私が上海でインタビューした際、彼は『芙蓉鎮』に込めた深い思いをそう明かしました。
とはいえ、『芙蓉鎮』は決して政治の不条理を告発することだけを狙った映画ではありません。そこに描かれているのは、政治の荒波に弄ばれても、完全に打ちのめされはしない庶民の粘り強さであり、その雑草精神へのオマージュです。胡玉音は「反革命分子」の妻として虐げられながらも一人で子供を生み育て、夫の帰りを待ちます。最後には、いつ果てるともなく続いた政治運動も収束し、ようやっと親子三人の平穏な生活が訪れます。どんな政治であれ、とどのつまり、「いつかは通り過ぎていくもの」でしかない、ということです。映画は無言のうちにそれを伝えています。謝晋が『芙蓉鎮』を通じて残した最大のメッセージは、表面的には非力に見える庶民のしたたかな生命力を信じる、という一点に尽きるように思います。
若いころに見た『芙蓉鎮』の記憶を振り返ったのはほかでもありません。中国理解のカギというものがあるとすれば、それはいったい何なのか、ということを考えてみたかったからです。中国の歴史や政治、社会、文化等々、私たちが中国を理解する上で学ばなければならない事柄はたくさんありますが、作家の林語堂は一九三五年に米国で出版した自著"My Country and My People"(邦訳『中国=文化と思想』)の中で、こんなことを言っています。
「中国を観察する唯一の方法は、同時にまた外国を理解する唯一の方法は、エキゾチックなものではなく普通の大衆の価値観を探求することであり、皮相的な奇習の下にある真の礼儀を考察することである」
林語堂が指摘する「普通の大衆の価値観」という観点は非常に重要です。中国には古来、「民以食為天(民は食を以て天と為す)」という言い方があります。民にとっては腹いっぱい食べることこそがいちばん大事だ、という意味ですが、「食べる」ということはとりもなおさず「生きる」「生活する」ということです。したがって、私は民にとっては生活こそが何よりも大事なことなのだ、というふうに、もっと広い意味でこの言葉を解釈したいと思います。この生活とは、個人及び家族、親類縁者、友人らを含めた生活圏における暮らしのことです。その生活を守ったり、取り戻したりするためには、逆境を耐え忍んで「牛馬のように生き抜く」ことも厭わない。玉石を磨くように中国の大衆の価値観を磨いていくと、時代を超えてその中核をなしているのは、そういった生活への渇望なのではないかと感じます。
生命力にあふれた中国の人々が日中戦争当時、日本軍に国土を荒らされ、生活の基盤を破壊され、牛馬のごとく虐げられながらも、決して服従することなく、したたかに抵抗し続けたのはしごく当たり前のことでした。歴史上、異民族に侵略され、征服され、長い忍従の歳月の末にそれをまた底辺から覆す、ということを繰り返してきた大陸人の粘り腰は、日中戦争においても遺憾なく発揮されました。どんなに痛めつけられても、どのような境遇に陥っても、とことん生き抜くという中国人の民族精神を、日本人はそもそも理解しようとせず、見誤ったのです。
二一世紀の今日、日中関係は再び極めて難しい局面に直面しています。中国が新興の「富国強兵」国家として台頭し、その実力と自信を背景に、尖閣諸島問題などで強硬姿勢を見せつけています。一方の日本は膨張する中国に不安と脅威を感じ、中国への反発を強めています。日本人として今、何をすべきなのかはもう自ずと明らかでしょう。好むと好まざるとにかかわらず、私たちはできるだけ頭を冷やして中国という国、中国人という人々を知る努力を地道に積み重ねなければならないということです。虚心坦懐に中国を知ろうとせず、対中戦略を誤った昔の失敗を再び繰り返してはならないということです。
内閣府の「外交に関する世論調査」(二〇一二年一一月発表)によれば、「中国に親しみを感じない」という人の割合は八〇・六%にも達し、一九七五年の調査開始以来、最悪の状況となりました。二〇一二年九月の尖閣諸島国有化をきっかけに中国各地で激しい反日デモが続発し、尖閣海域の緊張が一気に高まったことが影響したと見られており、いわゆる「嫌中」派が国民の間に増えている状況がうかがえます。『読売新聞』の記事データベース「ヨミダス文書館」で検索してみると、「嫌中」という言葉が含まれる記事は一九九五年に初めて登場しますが、記事の中で「嫌中」が用いられる頻度は二〇〇〇年代以降、急速に高まっています。この十数年来、中国に親しみを感じない国民の増加と連動するように、「嫌中」という言葉が社会に広まっていったと考えていいでしょう。まさしく、私たちは現在、「嫌中」時代のただなかにいます。
中国にも中国人にも関心はない、知りたくもないし、付きあいたくもない―。「嫌中」派の中には、あるいはそういう考えの人がいるかもしれません。そこまで極端ではなくとも、自分から進んで中国とかかわろうとは思わないという人はけっこういるのではないかと思います。日本人は「嫌中」のままであってはいけない、中国にもっと親しみを感じなければならない、などということを私は主張しているわけではありません。ただ、ちょっと立ち止まって考えてほしいのは、私たちはたとえ「中国嫌い」であっても、もはや「中国知らず」ではすまされない時代に直面しているということです。ビジネスなどで中国と直接的なかかわりがある人はもちろんのこと、そうでない人も自分の生活や身の回り、人間関係をチェックしてみれば、何らかの形で中国との接点があることに気づくはずです。中国を知ることは日本を見つめ直すことであり、中国といかに付きあっていくかを考えることは日本がこれから国際社会でいかに生きていくかを考えることなのです。
中国に親しみを感じない人たちは、日本とは違う中国の「異質さ」に抵抗感を覚えているのであろうと推察します。そうであるならば、その「異質さ」の正体は何なのかを知る必要があります。中国を理解するきっかけとしては折よくと言うべきでしょうが、尖閣危機と並行する形で、中国共産党の第一八回大会が二〇一二年一一月に開催され、習近平総書記(中央軍事委員会主席)をトップとする新指導部が発足しました。続いて二〇一三年三月の第一二期全国人民代表大会(全人代)第一回会議で習近平を国家主席、李克強を首相とする国家・政府の布陣も固まり、「習―李」時代が正式に幕を開けました。今後、よほどの不測の事態が生じない限り、二〇二二年までの二期一〇年間はこの指導体制が続くことになります。習近平時代の中国はどこへ向かうのか、共産党は国内矛盾の圧力に持ちこたえられるのか、緊迫する日中関係はどうなるのか、日本はどのように中国と向きあったらいいのか―これらの今日的問題について、できるだけ具体的な事例や情報、データを提示しながら考えてみようというのが本書の狙いです。
中国に対する私自身のスタンスについて言えば、「親中」でも「反中」でも「嫌中」でもありません。中国問題ジャーナリストとして、中国の良いところも悪いところも全部ひっくるめて冷静に見ることができる「知中」をずっと心がけてきたつもりです。中国の実情を知らずに、あるいは知ろうともせずに、メディア報道などを基に頭の中に思い描いたイメージによって中国への反感だけを募らせるという人が増えていくとすれば、日中関係にとってだけでなく、日本自身の未来にとって大きなマイナスとなります。できれば、「嫌中」派の人たちにこそ、中国のことをもっと知っていただきたい、「中国嫌い」であっても「知中」の心は忘れないでいただきたい、というのが本書に込めた私の願いです。隣人同士の付きあいほど、微妙で、面倒で、そしてないがしろにできない敏感な関係はありません。日本人にとって、「知中」の道は簡単に歩き終えることができるものではなく、遙か遠くまで延々と続いています。
なお、本書では本文中の敬称を省略させていただきました。写真はクレジットの明記のないものはすべて著者の撮影です。