目次
序論
第一部 原発と核兵器
第一章 核アポカリプス不感症の現状――ギュンター・アンダースから福島第一原発事故後の状況を考える
1 核の「軽視」の反復――一九五四年、一九七九年、二〇一一年
2 自由意志の彼岸
3 原子力=核事故は「戦争」とのみ比較可能である
4 福島第一原発事故後からアンダースを捉え直す
4‐1 原発と核兵器
4‐2 「ありえない」という呪文を自らに禁じること
4‐3 核アポカリプス不感症の深刻化
第二章 原子力発電と核兵器の等価性――フーコー的「権力=知」の視点から
1 原子力発電と核兵器の等価性
2 国家的技術システムとしての核兵器
3 原子力発電と核武装
第三章 絶滅技術と目的倒錯――モンテスキュー、ナンシーから原子力=核技術を考える
1 二つの近代技術論――モンテスキュー『ペルシア人の手紙』
1‐1 『ペルシア人の手紙』における二つの技術論
1‐2 『ペルシア人の手紙』を現在時から再読する
2 「範例」としてのフクシマ、ヒロシマ
2‐1 三つの論点――絶滅技術、国家と資本、技術革新
2‐2 「範例」としての福島第一原発事故――ジャン=リュック・ナンシーの視点
3 人間的生を目的と考えること
第二部 原発をめぐるイデオロギー批判
第一章 低線量被曝とセキュリティ権力――「しきい値」イデオロギー批判
1 避難区域の設定とセキュリティ権力
2 低線量被曝の影響評価と権力=知
3 放射能汚染と避難の権利
第二章 予告された事故の記録――「安全」イデオロギー批判Ⅰ
1 事故は予告されていた
1‐1 「原発震災」は予告されていた
1‐2 津波による被害は「想定外」ではない
2 伊方原発訴訟と「想像力の限界」
2‐1 地震想定の過小評価
2‐2 事故想定の過小評価
2‐3 原発事故の被害予測と「想像力の限界」
第三章 ノーマル・アクシデントとしての原発事故――「安全」イデオロギー批判Ⅱ
1 「確率論的安全評価」批判
1‐1 フォールト・ツリー解析の欠陥
1‐2 共通原因故障
2 ノーマル・アクシデントとしての原発事故
2‐1 複雑な相互作用
2‐2 緊密な結合
2‐3 どの技術を廃棄するか
第三部 構造的差別のシステムとしての原発
第一章 電源三法と地方の服従化
1 電源三法とは何か
2 構造的差別のシステムとリスクの偏在
3 核エネルギー政策に対する脱服従化
第二章 『原発切抜帖』が描く構造的差別
1 『原発切抜帖』という映画
2 『原発切抜帖』における「周縁」への眼差し――山上徹二郎の証言
3 グローバルな規模での周縁地域への構造的差別
4 原発労働者への構造的差別
第三章 構造的差別の歴史的「起源」――電力、二大国策、長距離発送電体制
1 「戦前」の日本電力事業史の見取り図――橘川武郎の時代区分
2 二大国策と長距離発送電体制をめぐって
3 症例としての東京電燈
3‐1 土台としての「富国強兵」と「殖産興業」
3‐2 長距離発送電体制による構造的差別
第四部 公害問題から福島第一原発事故を考える
第一章 足尾鉱毒事件と構造的差別
1 回帰する鉱毒とその否認
2 足尾鉱毒事件における差別の構造
2‐1 歴史的・地勢的条件による周縁性
2‐2 差別の深刻化とその背景
2‐3 差別の多重構造
2‐3‐1 「鉱都=企業城下町」の繁栄
2‐3‐2 加害と被害、五つの断面
3 足尾鉱毒被害の歴史的条件――田中正造と日露戦争
第二章 回帰する公害、回帰する原発事故
1 「戦後日本」の公害に関する一視角
1‐1 「戦後」の経済成長主義に見られる三重化された否認
1‐2 四大公害の歴史的「起源」から見た高度経済成長
1‐2‐1 イタイイタイ病
1‐2‐2 四日市公害
1‐2‐3 水俣病
1‐3 水俣病事件と福島第一原発事故の類似性
2 公害の否認としての「国土開発計画」――『資料新全国総合開発計画』を読む
3 原発事故の回帰、自己治療の切迫性
第三章 公害、原発事故、批判的科学
1 レイチェル・カーソンの文明批評
2 「公害という複雑な社会現象」――宇井純の科学批判
3 「科学の中立性」というイデオロギー――津田敏秀、アドルノ=ホルクハイマー
結論 脱原発の哲学
1 脱原発、脱被曝の理念
1‐1 脱原発、脱被曝の理念の切迫化――ハンス・ヨナス、ジャック・デリダ
1‐2 多様なる脱被曝の擁護
1‐3 「帰還」イデオロギー批判
2 脱原発の実現と民主主義
2‐1 脱原発をどのように実現すべきか
2‐2 脱原発によってどのような社会を実現すべきか
人名索引