目次
はじめに
Ⅰ 古代・飛鳥時代
1 渡来か征服か 中国・朝鮮から渡来した弥生人が縄文人の上に君臨したのか
2 国譲りの主体 「出雲神賀詞」は、大和王権内部の猿芝居か
3 語源説と御師 神無月に神々が出雲に集まるというのは本当か
4 保存か破壊か 宮内庁管理下の天皇陵などが発掘調査できないのは不当か
5 吉備も葛城も 雄略天皇は大悪天皇なのか、有徳天皇なのか
6 女帝との関係 皇后は宮中でどういう役割を果たしていたのか
7 訓読と文脈と 『隋書』に仏教導入で日本に文字を教えたとあるのはなぜか
8 槍弓戦と騎兵 刀は、戦場で必携品だったのか
9 肖像と応現像 唐本御影と称する聖徳太子像は、実像か虚像か
10 磐之媛と有間 『万葉集』にある聖徳太子の歌は、本人の詠んだものか
11 板蓋宮大極殿 乙巳の変は、建物のなか・そとのどっちで行われたのか
12 刺客の立位置 乙巳の変で「韓人が入鹿を殺した」とある韓人とはだれのことか
13 大化の改新 軽皇子(孝徳天皇)が黒幕だったという説はただしいか
14 中大兄と入鹿 ハンドはサッカーの反則だが、犯土ってのは何だ
15 国造軍・外征 白村江の戦いは裁兵の処理が目的だったのか
16 倭姫王・額田 天智天皇は、皇后がいなかったから即位できなかったのか
17 空位の可不可 大友皇子は、天智天皇没後に即位していたか
18 正当防衛偽装 壬申の乱は、どうしてあのタイミングではじまったのか
19 氏族制と天武 宦官制度はなぜ日本に導入されなかったのか
20 持統と長親王 『懐風藻』に見られた弓削皇子の言動に込められた憤激とは
Ⅱ 奈良時代
21 日出処と扶桑 『旧唐書』に記された日本の国号改定の経緯はほんとうか
22 漢文の訓読み 『日本書紀』本文はどのように読まれていたのか
23 神代巻・国学 『日本書紀』はどう読まれ、『古事記』はいつから読まれてきたか
24 言文の不一致 『日本書紀』は中国漢文で、『古事記』『万葉集』はなぜ和語なのか
25 井上・紫の上 元正女帝の独身は、不思議でなかったか
26 基王・膳夫王 長屋王の変の真相は、皇位継承をめぐる腹の探り合いだったのか
27 中華思想受容 元号は、貴重な重要無形文化財である
28 グレゴリオ暦 和年号は、ただ西暦年号に置き換えればいいのか
29 尼戒壇の存否 国分尼寺は、いったいだれが運営していたのか
30 大宝養老戸籍 三十八歳の光明皇后・四十歳の孝謙上皇はもう子を産めないか
31 仲麻呂の仕業 安積親王は毒殺されたのか
32 恵美氏の創立 藤原仲麻呂は、子を親王に仕立てようとしたか
33 奈良麻呂の変 大伴家持は、どうして決起しなかったのか
34 影媛・手児名 古代の恋愛は、定型化した約束事に縛られていた
35 国司・写経生 役人への支払いは実費なのか定額の規定額だったのか
36 食法・扶持米 ひとは、米をどれほど食べていたのか
37 多度神の悲願 なぜ神々は本地垂迹説を受け入れ、仏の「従」となったのか
38 白壁王と他戸 「天武皇統と天智皇統との鬩ぎ合い」という構図は有効か
Ⅲ 平安時代
39 緒嗣への授劔 桓武天皇は、藤原百川になんでそんなに感謝しているのか
40 吾嬬・碓氷峠 古代の東国とはどこのことか
41 主権者は誰か 乱・変・役・陣はどう使い分けられているのか
42 権力の盥回し 摂関政治の基盤は、良房・道長の例が典型だったのか
43 資産と妻問い 同じ物語でも、時代によって書き替えられてしまうことがあるとは
44 国風文化とは 平仮名が発明されなければ、物語文学はできなかったのか
45 縮合か代入か 漢字の音読みは、反切法でどうすれば会得できるのか
46 歴史観の歪み 武士は、貴族が武装してはじまったものだったんだって
47 摂関家と院政 源為義・義朝父子は、保元の乱でどうして敵味方となったのか
48 以仁王の令旨 木曽義仲は、後白河院にとって助けの神じゃなかったのか
49 怨霊と後白河 平家の滅亡は、望まれていたのか
50 平直方・義朝 頼朝は、なぜ鎌倉に幕府を開いたのか
51 壇ノ浦・地頭 鎌倉幕府の成立は、一一八五年なら今度こそ正解なのか
52 吉凶忌・暦注 暦の上の迷信は笑えるか
53 古道・条里制 地名は、貴重な文化遺産である
54 醤油・餅・女 味覚や方言も、人が担っている大事な文化遺産である
55 時代認識の差 「古代」は日本史上になかったか
あとがき
古代天皇系図