紹介
うたの森に、ようこそ。
柿本人麻呂から寺山修司、塚本邦雄まで、日本の代表的歌人の秀歌そのものを、堪能できるように編んだ、初めてのアンソロジー、全六〇冊。「コレクション日本歌人選」の第2期第1回配本、漱石の俳句・漢詩です。
漱石のなかには、生涯消えやらない寂しさのようなものが染み付いていて、それはさまざまな作品にかたちを変えてあらわれている。
夏目漱石 Natume Soseki
文豪として近代文学史上に名をなした漱石は、その内面に寂しさのかたまりといったものを終生抱え続けていた人間であった。彼は、その根源的な寂しさを、子規から学んだ俳句や伝統的な漢詩の中にうたい続けた。小説家漱石ならぬ詩人漱石は、俳句と漢詩に何を吐露したのか。本書は、そうした漱石の私的感性のありように向かい合うことによって、彼が書いた小説作品との間の通路を初めて開設、漱石研究に新たな一石を投ずる。
目次
01 行く秋や縁にさし込む日は斜
02 名月や故郷遠き影法師
03 海嘯去って後すさましや五月雨
04 人に死し鶴に生まれて冴え返る
05 月に行く漱石妻を忘れたり
06 朝寒み夜寒みひとり行く旅ぞ
07 安々と海鼠の如き子を生めり
08 秋風の一人をふくや海の上
09 手向くべき線香もなくて暮の秋
10 時鳥厠半ばに出かねたり
11 此の下に稲妻起る宵あらん
12 秋の江に打ち込む杭の響きかな
13 別るゝや夢一筋の天の川
14 生残る吾恥かしや鬢の霜
15 生きて仰ぐ空の高さよ赤蜻蛉
16 病んで来り病んで去る吾に案山子哉
17 思ひけり既に幾夜の蟋蟀
18 風に聞け何れか先に散る木の葉
19 秋風や屠られに行く牛の尻
20 我一人行く野の末や秋の空
01 鴻台冒暁訪禅扉 鴻台暁を冒して禅扉を訪ふ
孤磬沈沈断続微 孤磬沈沈断続して微かなり
一叩一推人不答 一叩一推人答へず
驚鴉撩乱掠門飛 驚鴉撩乱門を掠めて飛ぶ
02 離愁別恨夢寥寥 離愁別恨夢寥寥
楊柳如烟翠堆遥 楊柳烟の如く翠堆遥かなり
幾歳春江分袂後 幾歳か春江に袂を分かちし後
依稀繊月照紅橋 依稀として繊月紅橋を照らす
03 西方決眥望茫茫 西の方眥を決して茫茫を望めば
幾丈巨濤拍乱塘 幾丈の巨濤乱塘を拍つ
水尽孤帆天際去 水尽きて孤帆天際に去り
長風吹満太平洋 長風吹きて満つ太平洋
04 鋸山如鋸碧崔嵬 鋸山鋸の如く碧崔嵬たり
上有伽藍倚曲隈 上に伽藍の曲隈に倚れる有り
山僧日高猶未起 山僧日高くして猶お未だ起きず
落葉不掃白雲堆 落葉掃わず白雲堆し
吾是北来帝京客 吾は是れ北より来たりし帝京の客
登臨此日懐往昔 登臨して此の日往昔を懐ふ
咨嗟一千五百年 咨嗟す一千五百年
十二僧院空無迹 十二僧院空しく迹無し
只有古仏坐磅〓 只だ古仏の磅〓に坐せる有りて(〓=石+唐)
雨蝕苔蒸閲桑滄 雨蝕み苔蒸して桑滄を閲す
似嗤浮世栄枯事 浮世栄枯の事を嗤ふに似て
冷眼下瞰太平洋 冷眼下し瞰る太平洋
05 別後憶京中諸友 別後、京中の諸友を憶ふ
魂飛千里墨江〓 魂は飛ぶ千里墨江の〓(〓=さんずい+眉)
〓上画楼楊柳枝 〓上の画楼楊柳の枝(〓=さんずい+眉)
酒帯離愁醒更早 酒は離愁を帯びて醒むること更に早く
詩含別恨唱殊遅 詩は別恨を含んで唱うること殊に遅し
銀紅照夢見蛾聚 銀紅夢を照らして蛾の聚まるを見
素月匿秋知雨随 素月秋に匿れて雨の随ふを知る
料得洛陽才子伴 料り得たり洛陽才子の伴
錦箋応写断腸詞 錦箋応に写すべし断腸の詞
06 奈此宿痾何 此の宿痾を奈何せん
眼花凝似珂 眼花凝りて珂に似たり
豪懐空挫折 豪懐空しく挫折し
壮志欲蹉跌 壮志蹉跌せんと欲す
山老雲行急 山老いて雲の行くこと急に
雨新水響多 雨新たに水の響くこと多し
半宵眠不得 半宵眠り得ず
燈下黙看蛾 燈下黙して蛾を看る
07 快刀切断両頭蛇 快刀切断す両頭の蛇
不顧人間笑語譁 顧みず人間笑語譁しきを
黄土千秋埋得失 黄土千秋得失を埋め
蒼天万古照賢邪 蒼天万古賢邪を照らす
微風易砕水中月 微風砕き易し水中の月
片雨難留枝上花 片雨留め難し枝上の花
大酔醒来寒徹骨 大酔醒め来たりて寒骨に徹し
余生養得在山家 余生養い得て山家に在り
08 出門多所思 門を出でて思う所多し
春風吹吾衣 春風吾が衣を吹く
芳草生車轍 芳草車轍に生じ
癈道入霞微 癈道霞に入りて微かなり
停〓而矚目 〓を停めて目を矚げば(〓=竹冠に工+こざと)
万象帯晴暉 万象晴暉を帯ぶ
聴黄鳥宛転 黄鳥の宛転たるを聴き
賭落英紛霏 落英の紛霏たるを賭る
行尽平蕪遠 行き尽くして平蕪遠く
題詩古寺扉 詩を題す古寺の扉
孤愁高雲際 孤愁雲際高く
大空断鴻帰 大空断鴻帰る
寸心何窈窕 寸心何ぞ窈窕たる
縹緲忘是非 縹緲として是非を忘る
三十我欲老 三十我老いんと欲し
韶光猶依依 韶光猶お依依たり
逍遥随物化 逍遥して物化に随い
悠然対芬菲 悠然として芬菲に対す
09 吾心若有苦 吾が心苦しみ有るが若し
求之遂難求 之を求むるも遂に求め難し
俯仰天地際 俯仰す天地の際
胡為発哀声 胡為れぞ哀声を発す
春花幾開落 春花幾たびか開き落ち
世事幾迭更 世事幾たびか迭更す
烏兎促〓髪 烏兎〓髪を促し
意気軽功名 意気功名を軽んず
昨夜生月暈 昨夜月暈生じ
〓風朝満城 〓風朝城に満つ(〓=犬3つ+風)
夢醒枕上聴 夢醒めて枕上に聴く
孤剣匣底鳴 孤剣匣底に鳴くを
慨然振衣起 慨然として衣を振つて起ち
登楼望前程 楼に登りて前程を望む
前程望不見 前程望めども見えず
漠漠愁雲横 漠漠として愁雲横たわる
10 長風解纜古瀛洲 長風纜を解く古瀛洲
欲破滄溟掃暗愁 滄溟を破らんと欲して暗愁を掃う
縹緲離懐憐野鶴 縹緲たる離懐野鶴を憐れみ
蹉〓宿志愧沙鴎 蹉〓たる宿志沙鴎に愧ず(〓=石+它)
酔捫北斗三杯酒 酔うて北斗を捫む三杯の酒
笑指西天一葉舟 笑うて西天を指さす一葉の舟
万里蒼茫航路杳 万里蒼茫航路杳かに
烟波深処賦高秋 烟波深き処高秋を賦せん
11 仰臥人如唖 仰臥人唖の如く
黙然見大空 然大空を見る
大空雲不動 大空雲動かず
終日杳相同 終日杳として相同じ
12 縹渺玄黄外 縹渺たる玄黄の外
死生交謝時 死生交ごも謝する時
寄託冥然去 寄託冥然として去り
我心何所之 我が心何の之く所ぞ
帰来覓命根 帰来命根を覓むるも
杳〓竟難知 杳〓として竟に知り難し(〓=穴+目)
孤愁空遶夢 孤愁空しく夢を遶り
宛動蕭瑟悲 宛として蕭瑟の悲しみを動かす
江山秋已老 江山秋已に老い
粥薬〓将衰 粥薬〓将に衰えんとす
廓寥天尚在 廓寥として天尚お在り
高樹独余枝 高樹独り枝を余す
晩懐如此澹 晩懐此くの如く澹に
風露入詩遅 風露詩に入ること遅し
13 馬上青年老 馬上青年老い
鏡中白髪新 鏡中白髪新たなり
幸生天子国 幸ひに天子の国に生まる
願作太平民 願はくは太平の民と作らん
14 老去帰来臥故丘 老い去って帰来し故丘に臥す
蕭然環堵意悠悠 蕭然たる環堵意悠悠
透過藻色魚眠穏 藻色を透過して魚眠穏かに
落尽梅花鳥語愁 梅花を落とし尽くして鳥語愁う
空翠山遥蔵古寺 空翠山遥かにして古寺を蔵し
平蕪路遠没春流 平蕪路遠くして春流を没す
林塘日日教吾楽 林塘日日吾をして楽しま教む
富貴功名曷肯留 富貴功名曷 ぞ肯て留まらん
15 大道誰言絶聖凡 大道誰か言う聖凡を絶すと
覚醒始恐石人讒 覚醒して始めて恐る石人の讒
空留残夢託孤枕 空しく残夢の孤枕に託するを留め
遠送斜陽入片帆 遠く斜陽の片帆に入るを送る
数巻唐詩茶後榻 数巻の唐詩茶後の榻
幾声幽鳥桂前巌 幾声の幽鳥桂前の巌
門無過客今如古 門に過客無きは今も古への如く
独対秋風着旧衫 独り秋風に対して旧衫を着く
16 百年功過有吾知 百年の功過吾の知る有り
百殺百愁亡了期 百殺百愁了期亡し
作意西風吹短髪 意を作して西風短髪を吹き
無端北斗落長眉 端無くも北斗長眉に落つ
室中仰毒真人死 室中に毒を仰いで真人死し
門外追仇賊子飢 門外に仇を追いて賊子飢う
誰道閑庭秋索寞 誰か道ふ閑庭秋索寞たりと
忙看黄葉自離枝 忙しく看る黄葉の自ら枝を離るるを
17 非耶非仏又非儒 耶に非ず仏に非ず又た儒に非ず
窮巷売文聊自娯 窮巷に文を売りて聊か自ら娯しむ
採〓何香過芸苑 何の香を採〓して芸苑を過ぎ(〓=さんずい+頡)
徘徊幾碧在詩蕪 幾碧に徘徊して詩蕪に在り
焚書灰裏書知活 焚書灰裏書は活くるを知り
無法界中法解蘇 無法界中法は蘇るを解す
打殺神人亡影処 神人を打殺して影亡き処
虚空歴歴現賢愚 虚空歴歴として賢愚を現ず
18 半生意気撫刀鐶 半生の意気刀鐶を撫し
骨肉銷磨立大寰 骨肉銷磨して大寰に立つ
死力何人防旧郭 死力何人か旧郭を防ぐ
清風一日破牢関 清風一日牢関を破る
入泥駿馬地中去 泥に入りし駿馬地中に去り
折角霊犀天外還 角を折りし霊犀天外に還る
漢水今朝流北向 漢水今朝流れて北に向かい
依然面目見廬山 依然たる面目廬山を見る
19 大愚難到志難成 大愚到り難く志成り難し
五十春秋瞬息程 五十の春秋瞬息の程
観道無言只入静 道を観るに言無くして只だ静に入り
拈詩有句独求清 詩を拈るに句有りて独り清を求む
迢迢天外去雲影 迢迢たる天外去雲の影
籟籟風中落葉声 籟籟たる風中落葉の声
忽見閑窓虚白上 忽ち見る閑窓虚白の上
東山月出半江明 東山月出でて半江明らかなり
20 真蹤寂寞杳難尋 真蹤寂寞として杳かに尋ね難く
欲抱虚懐歩古今 虚懐を抱きて古今に歩まんと欲す
碧水碧山何有我 碧水碧山何ぞ我有らん
蓋天蓋地是無心 蓋天蓋地是れ無心
依稀暮色月離草 依稀たる暮色月は草を離れ
錯落秋声風在林 錯落たる秋声風は林に在り
眼耳双忘身亦失 眼耳双つながら忘れて身も亦た失い
空中独唱白雲吟 空中に独り唱う白雲吟
詩人略伝
略年譜
解説「漱石の詩魂」(神山睦美)
読書案内
【付録エッセイ】「それ以前」の漱石--世界のはずれの風(加藤典洋)