目次
津波 孤立した公民館で43時間を過ごして
安否不明の妻と避難所で再会
一番弱い人がいるところに支援が届いていない
記事にできなかった夫婦愛の物語
世界に震災を伝えた「毛布の女性」
遺体が放置されている現実。この悲しみを伝えきろうと思った
3・11家族の記録。生きていく姿を伝えたい
どう書いても深刻な被害を伝えきれない
前に進もうとする力に感銘
子どもたちの笑顔のために
心を定めさせた一言「記者の妻は強いのよ」
原爆、阪神大震災、そして
ままへ。いきてるといいねおげんきですか
大川小、我が子を失った親の思い
大震災の夜、避難所で生まれた赤ちゃん
患者を救い、津波にのまれた准看護師
寝たきりの高齢者が運び込まれた避難所
母の顔に本当の笑顔が戻るまでは
歯を食いしばってシャッターを切った
お骨のない葬儀、「お父」捜す母娘からのメール
「使命感」を胸に戦った消防職員
孤立した島民が手にした教訓
行方不明者の家族の悲痛な姿を見て
3・11、津波被災地をヘリで北上
記事にならなかった最初の応援取材
「今までやってきたこと」の意味
幼稚園バスの悲劇を伝えるために
悲しみの前で何も出来ず立ちつくした
かける言葉が見つからない
電気、水道が途絶え、島は「独立」した
花咲き乱れる町を願って
妻を失いながらも患者に心を砕く医師
ボランティアの力、学生の力に刮目
第二の故郷よ、困難を乗り越えてほしい
3月11日夕、上空から見た気仙沼の惨状
救われた赤ちゃんの「最初の一枚」
お父さんになってくれてありがとう
悔やまれる2日前の報道
笑顔が後押しする復興
寄り添う取材ができたのか
あこがれの海が不気味なものに見えた
驚くべき、震災関連死の調査
ヒッチハイクで取材。人の温かさに涙
現場から送られてくる原稿が心の支えだった
原発 震災翌日、第一原発の正門前まで近づいたが
生きていた証し、生きている証し
「現場へ」通じぬ取材の中で
船上生活を続ける漁師の誇り
ほか30編