さんの書評2018/02/12

ひょっとすると「反知性」は人間の根本的にダメなところに根差しているのかもしれない

反知性主義、ってなんのことだろう?と何冊か手に取ったなかの一冊。
内田樹氏が音頭をとって、10名ほどの論客(=知性主義者?)が「反知性主義」について寄稿した論文集だ。
この言葉の意味はもちろん、この言葉で批判する対象も人それぞれなので、わりとターゲットはふわっとしている。
そのせいか、反知性と反知性主義はたぶん違っているのだが、それがあまり区別されていないように思う
主義というからには自覚的であることが必要で、たとえば演説においてあえて理でなく情に訴えて大衆を操作しようとする政治家は「反知性主義者」と言えるが、反知性という属性を(たぶん無意識のうちに)持っているのは操作される大衆の方だ。
とすれば「反知性」を批判されるべきは大衆の方だと思うが、全体にそういう文脈ではない。
また、ひとを知性から遠ざけるのは情動だけではない。むしろ、より強く知性と反発するのは利(=欲に目がくらむ)であろうと思うが、その点についての指摘はなかった。
知性=価値あるもの、という立場からの論説なので、知性的でないもの=感情的な態度、功利的な態度への批判はどうしても上から目線になる。
寄稿者のひとり、高橋源一郎氏もそこを指摘していたが、ぼくもその点がいちばんしっくりこなかった。
そういえば、仏教で三毒といわれている「貪瞋痴」に、欲(=貪)、怒り(=瞋)とならんで「痴」が入っていることを思い出した。
反知性というのは、いうほど簡単なものではなく、何千年も前から人間の根本的にダメなところに直結している、ということなのかもしれない。
内田樹氏は、「知性というものは、個人においてではなく、集団として発動するものだ」と書いている。(p22)
ひょっとすると、「知性」には記述できるような具体的な中身はなくて、痴に陥らないよう自己(あるいは社会)を律しようとする態度こそを「知性」というのかもしれない。
うすぼんやりとだが、そこに思いが至ったのが本書を読んだ収穫だった。

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