目次
まえがき(ウィニー・マンデラ)
序文
Ⅰ ルーツ
第1章 マンデラ少年を求めて
第2章 過去
Ⅱ 闘争
第3章 ジョハネスバーグ
第4章 政治の広がり
第5章 エヴリン
第6章 不服従運動
第7章 国民党の弾圧
第8章 人員会議
第9章 エヴリンとの別れ
第10章 反逆罪で逮捕
第11章 パンアフリカニスト会議
Ⅲ ウィニー
第12章 ビザナ
第13章 ジョハネスバーグ
第14章 結婚
第15章 マンデラ家の日常
Ⅳ 終身刑
第16章 シャープビル
第17章 暴力に閉じこめられた部族衆
第18章 黒ハコベ
第19章 アフリカへの施設
第20章 黒ハコベの帰還
第21章 裁判と投獄
第22章 リボニア裁判
第23章 リボニア裁判――国側陳述
第24章 リボニア裁判――弁護側陳述
第25章 囚人たち
第26章 同志と親族の死
第27章 マンデラ家を破壊する企て
第28章 ウィニーの苦難
第29章 子供たちの反乱
第30章 マンデラへの世界の敬意
第31章 変化のさざめき
Ⅴ 獄中からの手紙
・手紙
・写真
・問題
・ウィニー
・記念日
・悔恨、郷愁、夢
・教育
・健康
・息子たち
・娘たち
・友人たち
・親族たち
・家と土地
ブランドフォート
・世界がマンデラ家を祝福する
マンデラの年譜
訳注
略語リスト
〈付録〉ネルソン・マンデラ釈放直後の演説(全文)
〈解説〉南アフリカの現状と展望(神野明)
訳者あとがき
新装版に寄せて――「闘うマンデラ」の時代が問いかけるもの(峯陽一)
前書きなど
新装版に寄せて――「闘うマンデラ」の時代が問いかけるもの(峯陽一)
本書『ネルソン・マンデラ伝―こぶしは希望より高く』(日本語版)が刊行されたのは一九九〇年一〇月である。ネルソン・マンデラ氏が釈放されたのは、同年二月のことだった。歴史的出来事の興奮が冷めやらず、南アフリカの変化への期待が渦巻くなかでの刊行だった。刊行と同じタイミングで、マンデラ氏はANC(アフリカ民族会議)代表団を率いて、初の来日を果たした。明石書店の石井昭男社長とともに訳者グループが集まって、東京滞在中のご本人とお会いした時のことを、昨日のことのように覚えている。そこには、原著者ファティマ・ミーア氏の夫のイシュマイル・ミーア氏もいらっしゃった。マンデラ氏は笑顔が素敵な、背が高い紳士だった。少し前屈みになって、この分厚い本を嬉しそうにお受け取りになった。
(…中略…)
本書『ネルソン・マンデラ伝』が再刊されることの意義は、ここにある。本書は、「革命家」としてのマンデラの足取りを克明に描き出した書物として、現在のマンデラをめぐる言説のバランスを回復するのに不可欠な作品なのである。アパルトヘイト撤廃を目前にした動乱の八〇年代、南アフリカの内外の人びとはマンデラに何を期待していたのだろうか。本書にはその答えがある。本書を読むと、あの時代の息吹を生き生きと感じ取ることができるのだ。
(…中略…)
マンデラの伝記は他にも数多くあるが、マンデラ伝の多くはジャーナリストによって書かれている。しかし、本書は違う。序文に書かれている通り、ファティマ・ミーアに伝記の執筆を依頼したのは、マンデラ自身だった。著者ファティマ・ミーアは、インド系の反アパルトヘイト活動家としてマンデラと夢を共有した人物であり、社会学者でもある。ファティマはマンデラよりも一〇歳若い一九二八年に生まれ、二〇一〇年に亡くなった。ガンディー主義の影響を受けながら、インド系南アフリカ人の反アパルトヘイト運動を率いるとともに、一九五四年の南アフリカ女性連盟の設立に尽力するなど、彼女自身が、南アフリカの現代史をつくった生き証人のひとりである。彼女の夫のイシュマイル・ミーアはマンデラと同じ一九一八年の生まれで、マンデラと非常に近い友人であり、同志であり、二〇〇〇年に亡くなっている。
(…後略…)