紹介
最良のヒントを集成!
日本の文化としての武道——それは、「達人」たちの高度な感性によって築きあげられた〈実際〉の体系である!
日本の「古武道」(本書では「古武道」と「古武術」は同義語として扱う)がブームである。それは、巨人軍の桑田投手が古武術を学んで成績が向上したとか、陸上競技の末續選手が「ナンバ走り」を応用しているとか……という具合にスポーツ選手たちとリンクしたおかげだ。日本の伝統的な文化が、世界で活躍するスポーツ選手の自信に繋がるのであれば本当に素晴らしい。となると、日本的な古武術には神秘的な、もしくは解析不能な何か特別な技術なり考え方なりがあるのかと多くの人が興味を持つことも、またスポーツで直接役に立つ理論でもあるのか、と関心が出るのも当然といえる。そこで、その神秘や特別な何かの「謎解き」をするのが本書の主題である。
前書きなど
「太平の平成の世、巷には未曾有の〈運動論〉的雑誌や書籍が氾濫している。あたかも〈身体〉という、人とはかけ離れた物体があるように。その渦の中には古武術も当然のように収まっている。しかし、本文で記しているように、人は人であり、その人は身体そのものである。当たり前のことだが、決して身体は人から遊離したものなのではない……」(本書より)。現代人が「武道」文化を体現したいと考えたとき、現存するものの模倣からしか入ることはできない。武蔵、一刀斎、白井亨といった達人たちを知るには、「身体」でたどる以外に道はない。道標としては、彼らの「言葉」にしか手がかりはないのだ。しかし、それを曲解した動きの稽古をしても意味はない。自分という「頭」を含んだ身体が、その痕跡を復元できなければ、「境地」が見えないのだ。「境地」が見えるということが重要だ。つまり、「相対的な価値が見える」ということに繋がるからである。