前書きなど
本シリーズにあたってのあとがき
時々、考える。
「サーカスって、私にとってなんだったのだろう?」と。
三十五歳という微妙な年齢の女が幼い子どもを連れてサーカス団に入り炊事係となる。その日本のサーカス団のテント暮らしの体験をつぶさに書いて物書きの道を切り開いた。体当たり取材の書き手と、言われた。
確かに、結果的にそうではあるのだけれど、正直言って、サーカスについて書きたいと思っていたわけではなかった。
物書きとして自立しようという野心に燃えていたわけでもなかった。
サーカスに行こう、と突拍子もない思いにとりつかれた時、私は、完全に人生に煮詰り、言葉にし難い疲労感と挫折感の中にあった。
子どもがいなかったら、他の選択肢もあったろうが、四歳の幼児を抱えて行く当てのない心境にあった。
翔べ! どこかで声がしていた。
そして、翔んだのである。
翔んで着地したところから、また、人生を歩き始めようと思ったのである。
本部と呼ばれるテントの中で、風に吹かれながらじゃがいもの皮をひたむきに剥き続けていた時の安堵感を私は忘れることができない。幼い息子が、「かーたん」と呼びながらやってきて、こんなことがあった、あんなことがあったとしゃべりまくって、また駆けて行く後姿を眺め、もう、人生について思い煩うことはしない、と決めた時のやすらぎを覚えている。
サーカスには恩義がある。
サーカスを離れる時、私は切実に思った。一九八四年の某月某日、日本の滅びゆくサーカスの像使いの鈴木さんが、信じ難いほど美しい夕焼けの空を眺めていたというような小さな、小さな事実をなんとか記録して残しておきたい、と。……