前書きなど
まだ見ぬ人たちへ──鎌田慧
署名簿を抱えて、凍てつく街頭にたった雪国のひとたち、沖縄のちいさな島で島中のひとたちに声をかけてあるいた女性、九○歳すぎでも署名にまわったひとなどの力で、署名が集められました。
この本はさまざまなひとたちが、署名簿に添えて、ノートを破ったり、チラシの裏側に書いて、送り届けてきた実践の言葉を集めたものです。署名を集めたさまざまな手が書いた、汗と涙の結晶です。
署名運動をはじめようと話しあったとき、澤地久枝さんは子どもたちの将来がかかっているのだから、子どもたちにも書いてもらいましょう、子どもたちからも一円ずつもらいましょう、と提案されたのです。
でも、一円ずつ集めるための人手は膨大なものになりますので、実行できなかったのですが、その精神によってはじめられた運動でした。団体署名ではない、ひとりひとりがまわって集めた署名です。
日本人は昔にくらべてとても忙しくなっていて、署名する余裕もなく駅に駆け込んでいき、駅から出てきても、まっすぐに自宅へ向かいます。それに住所、氏名を書くのは、プライバシー保護からも嫌がられがちです。
それでも、私たちは八一○万人の署名を集めました。七一○万筆が集まったとき、首相官邸にもっていき、藤村官房長官に渡しました。その後、野田内閣は「二○三○年代原発ゼロ」といいだすようになりましたが、まだぐずぐずと決断していません。
わたしたちは、デモと集会、コンサートと講演会、そして発言と文章の力、さらには脱原発法制定運動など、あらゆる行動によって「脱原発」を早急に実現させます。再稼働も認めません。原発推進の国会議員は選挙で落とす運動も起こします。
澤地さんは、「顔も知らない、全国にいる意志のある市民とつながりをもつために」とこの本の発行の目的を語っています。集会やデモは、見知らぬひとたちとの出会いであり、スクラムですが、署名はペン先から紡ぎ出される長い長いつながりです。
遠くにいて、デモにも集会にも来れなくても、「脱原発」を訴えることができるのです。
その想いの籠もった、暖かい本なのです。