目次
はじめに
第1章 日本の大学の何が問題なのか――大学改革の論点と批判
「ガバナンス強化」か「大学の自治」か――“トップダウン”方式で成果でず
政府がすすめる「大学の三類型化」と伝統的“三層構造”
大衆化した大学は「専門学校」になればいい?!
大学入試を変えるのは誰か――雇用形態の変化と職業教育の外注化
改革の陰の主役は財務省
社会が求めているのは“人材”か“教養”か
第2章 なぜ巨額の税金を使って「学問の自由」が許されるのか
第1節 ウニヴェルシタス――中世社会に花開いた自治的組合
ウニヴェルシタスの成立――その特徴と中世自由都市
学生の組合「ナティオ」の結成――「最古の大学」ボローニャ大学
リベラル・アーツの教師集団――教会と闘うパリ大学
大学の隆盛とスコラ哲学
第2節 近代国家の形成と大学の変質
自治を失う大学――絶対王政から近代国家へ
大学の役割は官僚養成機関に
後進国の改革とフンボルト理念――一九世紀ドイツ①
国家管理の利害得失――一九世紀ドイツ②
教員は店員、学生は顧客――一八~一九世紀アメリカ
組合活動で勝ち取った「テニュア(終身在職権)」と「学問の自由」――二〇世紀アメリカ①
「基礎科学」神話の誕生――二〇世紀アメリカ②
「店員」から「プロフェッション」へ――二〇世紀アメリカ③
世界大戦と資金の流入――二〇世紀アメリカ④
日本の大学はアメリカのマネをできるか
第3章 大学の大衆化と「アカデミック・キャピタリズム」
第1節 大学の大衆化と機能分化
M・トロウの「大学発展三段階説」――エリート段階、マス段階、ユニヴァーサル段階
第二次大戦後の各国の大学の状況――進学率上昇時代
イギリス(イングランド)の場合――無償から自己負担へ
フランス・ドイツの場合――無償だが劣悪
日本の場合――身も蓋もない「自己責任」
第2節 一九八〇年代以降の展開
グローバル化時代の改革とは――“株式会社アメリカ”化する大学
アカデミック・キャピタリズムの蔓延――研究の商品化はうまくいくのか
特許ビジネスで大学は儲かるのか――事務経費にもならない実態
特許で経済は成長するのか――成長を阻害する特許利用法
アメリカの土俵に引きずり込まれる――ベンチャー・イノベーションに向く社会、向かない社会
産学連携の功罪――おびやかされる民主主義
強まる国家統制に面して――アメリカのNOと日本の右往左往
日本の大学がアメリカの大学から学ぶべきこと――ユニヴァーサル段階の大学の存在意義
第4章 選抜システムとしての大学
第1節 大学入試改革の過去と現在
後日本の大学入試――変わる方式、変わらぬ序列
教育システムの二つの機能――教育とスクリーニング
日本の入試システムには高い教育効果がある
「できん者はできんままで結構」――「保守指導層」が考える入試システム
近年の大学入試の実情は――競争と全入の住みわけ
「生きる力」を評価する?――ホンネはエリート選抜
入試改革、現在進行中――看板を掛け替えても本質は不変
従来のOA入試や推薦入試とどう違う?――入試改革の問題点①
自由参加のテストを誰が受けるのか――入試改革の問題点②
相も変わらぬ「テストで評価」――入試改革の問題点③
一年がかりの論文入試を!――考え、話し合う人間を育てるために
第2節 そもそも、なぜ日本の大学には入学試験があるのか
日本の大学入試事始め――明治からあった試験の弊害
大学の序列化と日本的経営――戦前・戦中・戦後と生き続けるコア・システム
日本的経営が福祉機能を見限るとき
第3節 大学で職業教育は可能か
勉強ができれば仕事もできる?――入試幻想①「選抜」
受験を勝ち抜くのは実力か?――入試幻想②「公正」
職業教育への賛否両論
大学教員に「職業教育」をやらせるとどうなるか
「職業専門学校」はうまくいかない――政財界の言いなりでは専門職大学院の二の舞
第4節 どんな職業に就いても(あるいは就けなくても)生きていける社会を
すべての人の生活が保障されている社会なら
社会保障の削減が不況の原因
これからの日本が進むべき道
第5章 競争すればよくなるのか
第1節 教育は競争で改善するか
学生獲得競争の結果はレジャーランド
競えば組織が破壊される――“競争による改善”は幻想だ
それでも蔓延する競争主義――「上から目線」と「トップダウン」は逆効果
教えるべきことを、まず教員が実践――異論と合意の社会観を
正しく考える技術
第2節 研究は競争で改善するか
“競争”とのかしこい付き合い方――知的好奇心と利他的関心で切磋琢磨
研究における過当競争の生々しい現実
「科学技術立国」のために今すぐ改めるべきこと――歪んだ予算配分が歪んだ運営を生む
名ばかりの「自由競争」――政府が進める擬似的な大学間競争
おわりに――大学になにができ、なにができないか
文献一覧
前書きなど
はじめに
(…前略…)
本書では、大学をめぐる多様な状況をできるだけ広く視野に入れて、大学のあり方を多面的に考えていきたい。具体的には、「なぜ巨額の税金を使っているのに学問の自由が許されるのか」「これまでの日本における大学の社会的機能は、学生を教育することよりむしろ選抜することだったのではないか」といったことから、「日本政府はなぜ財政難なのか」「競争すれば物事は改善するのか」といった、一見すると大学改革とは関係ないように思えることまで取り上げていく。そうすることで、単に大学のあり方だけでなく、大学を含む社会全体のあり方についても考えてみたい。
どのようなことについてであれ「考える」ためには、まずは関係する事実をよく調べ、よく知らなくてはならない。そして問題を可能な限り多面的かつ具体的に考察し、論理的に整合的な議論をする必要がある。さらに、意見が対立する相手とは話しあいを重ね、お互いに納得できる地点を探していくこと、あるいはそうした地点を共に作りあげていくことが大切である。冒頭で、大学は民主主義社会を実現するために存在していると書いたが、そのとき念頭にあったのは、大学はこうした学びと対話の場であり、学生はこうした対話による意見構築と合意形成の技法を学ぶべきであるということであった。在学中にこうした技法を身につけることができれば、大学を卒業したあと、誰かに教えてもらわなくても自分だけで学びと対話を続けていくことができる。
私は哲学者なので、ついつい「哲学的思考」といったものを念頭に置いて「大学で教えるべきこと」を考えてしまうが、他の人文社会科学であれ、自然科学であれ、結局のところ学問の本質はこの「調べ、知り、考察し、話しあい、共有できる知識を作っていくこと」ではなかろうか。そして、この本自体が、大学についてその実践を試みるものである。
これから大学で学ぼうとする学生や、大学で研究教育や運営に取り組む教職員だけでなく、大学に関心のあるすべての人に、大学のあり方をつうじて「よりよい社会はどんな社会か」を考える手がかりとしていただければ幸いである。