目次
序章 社会のなかの外国人学校、外国人学校のなかの社会[志水宏吉]
第Ⅰ部 外国人学校をめぐる施策と研究動向
第1章 外国人学校施策の歴史的展開――排除と包摂をめぐる公の分裂と共振[比嘉康則・舘奈保子]
第2章 外国人学校研究の動向――変容と継続が描き出す外国人学校の「いま」[薮田直子・芝野淳一・山本晃輔・敷田佳子]
第Ⅱ部 コリア系学校
はじめに コリア系外国人学校の包括的な理解を目指して[中島智子]
第1章 学校は次世代のトンムのために――西播朝鮮初中級学校[薮田直子]
第2章 負けるわけにはいかない!――東大阪朝鮮中級学校[中島智子]
第3章 つなげよう民族の心――大阪朝鮮高級学校[鍛治致]
第4章 「在日学校」としての歴史と未来――白頭学院 建国幼・小・中・高等学校[棚田洋平]
第5章 生徒は学校の主人公――京都国際中学高等学校[榎井縁]
第6章 越境人を育てる――コリア国際学園 中等部・高等部[比嘉康則]
おわりに 少子化とグローバル化のなかで――コリア系外国人学校の「経営戦略」[鍛治致]
第Ⅲ部 中華学校
はじめに 民族教育から新たなフェーズへ[石川朝子]
第1章 時代にマッチした学校をつくる――横浜山手中華学校[芝野淳一]
第2章 日本の有名進学校を目指す――東京中華学校[舘奈保子]
第3章 地域に根ざし華僑を育てる――神戸中華同文学校[石川朝子]
おわりに 卓越性を追求する中華学校[石川朝子]
第Ⅳ部 ブラジル人学校
はじめに 経済危機を乗り越えて[山本晃輔・山ノ内裕子]
第1章 家族のような学校エートスと全人教育――エスコーラ・オブジェチーボ・ジ・イワタ[ハヤシザキカズヒコ]
第2章 ブラジル人のための学校をつくる――エスコーラ・アレグリア・デ・サベール 浜松校[山本晃輔]
第3章 ブラジルでの難関大学合格を目指して――HIRO学園 エスコーラ・ブラジレイラ・プロフェソール・カワセ[山ノ内裕子]
第4章 一人ひとりのちがいに丁寧によりそう――コレージオ・ブラジル・ジャパン・プロフェッソール・シノダ[児島明]
おわりに トランスマイグラントとしてのブラジル人をささえる学校[ハヤシザキカズヒコ・児島明]
第Ⅴ部 インターナショナルスクール
はじめに インターナショナルスクールとIB教育[渋谷真樹]
第1章 過去と現在との親密な結びつき――横浜インターナショナルスクール[山本ベバリーアン(翻訳:渋谷真樹)]
第2章 「西町文化」を発信する――西町インターナショナルスクール[キム・ヴィクトリヤ(翻訳:藤田智博)]
第3章 1条校とともにある学校――関西学院大阪インターナショナルスクール[敷田佳子]
第4章 国際教育をより多くの人へ――ケイ・インターナショナルスクール東京[渋谷真樹]
おわりに グローバル化時代におけるインターナショナルスクール[渋谷真樹・山本べバリーアン]
終章 外国人学校のトランスナショナリティと教育政策の課題[中島智子]
参考文献
あとがき
編著者紹介
前書きなど
序章 社会のなかの外国人学校、外国人学校のなかの社会[志水宏吉]
1.はじめに
初夏のある日、私は東京のど真ん中、四ツ谷駅近くにある東京中華学校の校庭にいた。運動会の当日。列状に配置された中華民国と日本の小旗が、透き通るような青空にはためいている。笑顔で挨拶を交わす保護者の方たち。おじいちゃんやおばあちゃんたちの姿もみられる。中国語の会話が目立つが、同様に日本語でことばを交わしている人たちも多い。
場内の配置や競技種目の並びは、日本の小中学校の運動会とほとんど変わらない。見慣れた懐かしい運動会の風景である。そうした中で、場内のボルテージが一挙に高まったのは、昼休みの前に組まれている「獅子舞」の時間であった。特に中学生男子の代表者による2頭の獅子舞は勇壮かつ機智に富んだもので、満場の拍手喝采となった。
長い演技を終えた獅子たちは、本部席の前にやってきて、口をぱっくりと開ける。そこに赤い封筒に入れられたご祝儀(千円札のようだ)が次々と差し込まれていく。来賓として遇していただいていた私も、1つ差し込ませてもらった。その瞬間、校庭は完全に中国であった。しかし、周りを取り巻いているのはまぎれもない大都会東京=日本である。日本の学校文化の中心といってよい運動会、その中で演じられた中国文化の華としての獅子舞。グローバル化の進展の中で、混淆する中国文化と日本文化の姿がそこにあった。
それに先立つ数カ月前、私は、アボリジニと呼ばれる先住民の教育の歴史と現状を理解するためにオーストラリアのメルボルンを訪れた。特に印象深かった訪問先は、市街地から車で1時間半ほどドライブした所にある、アボリジニの女子寄宿制学校であった。その学校は、旧来の居留地の中に位置し、広大な敷地を有するが、全校生徒はわずか70人ほど。各地から中学生年代の女の子たちが入学してきて、寮生活を送りながらアボリジニ女子教育を受ける。白人的な容姿をした生徒もいるが、多くは褐色の肌をした、先住民の遺伝子を歴然と受け継ぐ容貌を有する女の子たち。マルチカルチュラルな大都市メルボルンの喧騒から離れ、異なる空気が流れる場がそこにはあった。
この学校は、私立学校として公教育の一翼を担うという役割を有している。もちろん定められたオーストラリアのカリキュラムに従わなければならないが、その「しばり」は日本よりもずいぶん緩やかなようである。オーストラリアの教育課程の中に、アボリジニのパースペクティブを取り入れ、独自のカリキュラムを組み立てているという説明が、自身がアボリジニである女性校長からなされた。アボリジニとしての誇りと自信をもち、多文化的なオーストラリア社会の中で上手に生き抜いていく女性を育てること。三十数年前にこの学校を開設したアボリジニ女性の妹にあたる現校長をはじめとする教職員の共通した願いが、そこにあった。
このアボリジニの学校は先住民のための学校であり、本書のテーマである「外国人学校」とは厳密には重ならない。しかしながら、多数派の白人とは異なる歴史・伝統をもつ社会的マイノリティとしてのアボリジニのための学校を公教育内に適切に位置づけ、彼らに対する教育保障を確かなものにしようとしているオーストラリア政府のスタンスは、日本の外国人学校の問題を考えようとしている私たちにとって、きわめて示唆的なものである。
日本ではこれまで、社会の中にある異質な要素は、常に「同化」するのが当たり前とされてきた。教育の分野でも同様である。日本では、「空気を読んで」ふるまうことが大切にされている。現代の若者や子どもたちの世界においても、依然としてそうである。「出る杭は打たれる」、「長いものには巻かれろ」とは、よくいったものである。私の研究グループでは、十年近くにわたって「ニューカマー」と呼ばれる新来外国人の子どもたちの教育について調査研究を進めてきたが、その文脈において、日本の義務教育機関には「一斉共同体主義」や「脱文化化の機関」といった形容句が与えられてきた。そう呼ばれる状況は、現時点においてもそう大きく変わったとは思えない。
そのような日本の文化風土のもとで、「外国人学校」と総称されるさまざまなタイプの学校は、その実質的な教育の中身やそこに込める関係者たちの熱い思いとはうらはらに、教育制度内部では、すこぶる低い位置づけと社会的処遇しか受けてこなかったと私たちは考えている。端的にいって、外国人学校は「日陰の花」であった。本書は、そうした現状に一石を投じたいという思いで作られたものである。
本書のねらいは、日本の外国人学校が有する教育的・社会的ポテンシャルを、17の外国人学校の事例をもとに個別・具体的に論じることにある。その際に私たちが採用したのが、社会学的な理論枠組みと探究方法である。この序章では、以下のような手順で、それらの事項についての補足的な説明を行っておくことにしたい。
まず2節では、「外国人学校」ということばについての考察を行った上で、その制度的位置づけと実態を押さえておきたい。続く3節では、私たちが外国人学校の問題を課題視するに至った社会状況の変化を「トランスナショナリティ」という語で把握し、その内容について述べる。4節で、世界の外国人学校の概要を押さえた上で、5節では、日本の外国人学校に対する私たちのアプローチについて述べる。具体的には、各学校の事例を分析する際のキーワードとして「学校の経営戦略」と「家庭の教育戦略」の2つを導入する。そして6節では、日本の外国人学校の教育的可能性を探るという本書の基本的コンセプトについて改めて述べる。最後の7節では、本書の構成について記しておく。
(…後略…)