目次
序 初めに出会いがあった
シンメトリー対オモテ・ウラ
普遍的な構造としてのオモテ・ウラ
第一章 「出会い」──未知との遭遇
コト(言葉)とコト(事実)
堅固な言葉、文字
「意味」よりも「形」が大切だった
「出会い」から考える
翻訳語の「戸惑い」
翻訳における意味のズレ
翻訳語の意味は必ずズレる
観念を語る言葉との「遭遇」
漢字は、意味よりも形が大切
第二章 「文」との出会い
「文」との出会い
「である。」が造られた
翻訳で造られた日本文
初めと終わりのある文
「カセット文」
演繹論理をつくる文
「カセット文」と純粋言語
第三章 「自然」との出会い
自然とnatureとの違い
natureから見た環境問題──宗教的背景
自然科学の転換
自然の二つの意味
「自然」の、環境問題における意味
第四章 「神」との出会い
近代における「神」
Godの翻訳語「神」
宣教師の翻訳思想
日本に渡来したキリスト教「神」
天皇制における「神」
第五章 「愛」との出会い
恥ずかしかった「愛」
「愛」は虚偽か
煌めく言葉「愛」の出現
翻訳語「恋愛」
教会は「愛」の舞台だった
西洋における「愛」の由来
「愛」から女性崇拝へ
トゥルバドゥールの「愛」の形
トゥルバドゥールとキリスト教
「愛」の翻訳が問題だった
聖書の「愛」の翻訳、まず中国語から
中国語の「愛」と日本語の「愛」
近代日本の「愛」の行方
第六章 異文化との出会い
日本における異文化
「出会い」からうまれる「境界」
権力は恐れていた
殉 教
キリシタン類族というフィクション
民衆もキリシタンが分からなかった
平人、類族、賤民
身分差別とケガレ差別
カースト制
カースト制の境界
第七章 「文明」との出会い
それは「危機意識」から始まった
「文明」──都市化の運動
文明としてのキリスト教
シヴィリゼーション高揚の時代
日本にやってきた「文明」
日本における「文化」の台頭
フランスの「文明」対ドイツの「文化」
日本における「文明」の没落
附 翻訳との出会い インタビュー
一 翻訳との出会い
二 評論家としての出発
三 翻訳文化論の深化と展開
四 翻訳研究の現在と未来
あとがき
柳父章著作目録